アンティークレッスン 古代ギリシャ4世紀 黄金のニケのリング 確認ポイントについて


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このゴールドリングは大変希少な古代ギリシャ4世紀の作品です、金の状態の確認で本物の古代の指輪だということはわかったので、次の4つのポイントについてさらに真贋を確かにする為に資料で詳しく調べてみました。

 

1 リングの形

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同年代の指輪の例 British Museumより

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同年代の指輪 Koch collection より

まず、形を確認してみました、資料でも確認できますが、このリングの独特な形、大きくて丸い広いべゼルは紀元前4世紀の典型的な形です。

何も彫っていないタイプのリングは以前に扱ったことがあり、こちらからご覧頂けます。

古代ギリシャ 紀元前4世紀 ゴールドリング

 

2 題材(ガーランドを手にしたニケ)

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同年代の指輪の例 British Museumより

ガーランドを手にしたニケの同年代の作品です。このニケはガーランドを2つ手にしているタイプです。

3 彫刻の仕方(衣服、ギザギザの彫り等、、)

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同年代の指輪の例 British Museumより

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 同年代の指輪 Koch collection より

彫りも大切な確認ポイントです、衣服や、翼、姿勢、類似点が多く見られます、特に翼のギザギザの彫り方によく特徴が出ています。

 

4 金の軽さ(2,3g)

2.3gという非常に軽い金の重さに関しては、タラントの墳墓より出土した同タイプのリングと同じくらいの重さであることがわかっています。埋葬時に墓の主の指に填められたリングだった為に、金を多く使う必要がなく、軽く仕上げられていたからです。

埋葬用に身につけられたリングなんて怖い、と思われる方もいらっしゃると思いますが、美と死は切っても切り離せない存在であることを、是非心を開いて感じながら作品に接して頂きたいと思います。

古代のリングと呼ばれている作品を入手した時に、金の状態を確認し、美術館やコレクション等の資料で類似点を確認することはとても大切です。

今回の紀元前4世紀の古代ギリシャのリングは多くの類似点を資料で見つける事が出来ました。金の状態でも本物の古代のリングの特徴が出ていましたから、このリングが確かに紀元前4世紀の古代の金のリングということが出来ます。

また、勝利の女神ニケのモチーフの指輪を埋葬時に指に填めるのは、死の恐れに打ち勝つような意味があったようです。

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この美しい金の指輪が、紀元前4世紀の作品だということが資料でも確かに分かりましたが、 古代の指輪を手に取って、調べて、その指輪が確かに古代作品だと確信が出来た瞬間というのは、何度経験してもとても感動的です。

古代ギリシャ時代の一部が、自分の手の中に確かに存在している、これは美しい古の夢そのものだと思います。

 

 

仙波亜希子 Akiko semba

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古代美術 古代ローマインタリオの年代判定


古代ローマインタリオの年代測定

 

古代ローマのインタリオ作品の主な年代判定の方法をお話したいと思います。

古代ローマのインタリオ作品の年代判定はとても難しいですが、専門家であれば古代ローマインタリオの年代測定は比較的簡単に行えます。

この年代測定を行うには、四つの基準があります。

 

a) 素材

 

古代ローマの彫刻師は多くの素材を使用していましたが、各素材のスタイルは年代によって異なります。例えば、プラースアゲートは、特に紀元前1世紀から紀元1世紀の間に流行しまし、二コロアゲートは、特に紀元1世紀から3世紀の間に使用されています。

しかし、この基準も完璧ではなく、紀元2世紀にプラースやニコロが見つかることも珍しくはありません。

 

b) ストーンの形状

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 古代ローマインタリオには、多くの形状が存在します。各形状の様式は、年代と場所によって異なります。例えば、若干膨らんだ形のインタリオは古代ローマ帝国の西側よりも、東側の方が一般的です。また、コーン形状(3段目、3つ目)は、一般的に紀元1世紀に見られるものです。

しかし、素材同様、この基準だけでは十分な年代判定は出来ません。

 

c) 題材

 

古代ローマインタリオに関しては様々な題材が存在しますが、時代によって好まれる題材が違います。例えば、« Venus Victrix» はユリウス・クラウディウス朝に関連する題材で、この王朝の後は見られなくなります。ヘラクレスを扱った題材は、初期によく見られます、また、キリスト教を主題としたものは、特に紀元3世紀に見られるようになり、4世紀には一般的な題材となりました。

 

d) 彫りのスタイル

 

年代測定に関する最も信頼できる基準が、彫りのスタイルです。

例えば、« a globolo style » は紀元前4世紀にエトルスカンスカラベに出現し、紀元前2世紀まで続きました。« pellet style» は、紀元前2世紀から紀元前1世紀の間の古代ローマ共和国において一般的なものでした。

以下の立像を見ると、紀元前1世紀、あるいは紀元1世紀、2世紀、3世紀の女神の違いをはっきりと感じて頂けると思います。

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左 : 紀元前1世紀 / 右2つ: 紀元2世紀

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左 : 紀元2世紀 / 右 : 紀元2 – 3世紀

 彫りのスタイルの年代をより簡単に知る為には、頭部の彫りのスタイルを研究しなくてはいけません。これらのスタイルには、特殊な類型がみられるからです。

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2A : 紀元前2 – 1世紀

2B : 紀元前1 – 紀元2世紀

2C : 紀元50 – 200 年

 2D : 紀元1 – 2世紀

 2E : 紀元150 – 300 年

頭部の例によっては、各スタイルが一部の年代特有のものである事が明確に分かります。

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« pellet style» : 紀元前2 – 1世紀

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« Wheel style» : 紀元前1世紀

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« Round head style » : 紀元1世紀 (左) – 紀元1 -2世紀 (右)

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« Cap with rim style» : 紀元1 – 2世紀

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« Nose-mouth-chin style» : 紀元1 – 2世紀

もし、古代ローマインタリオを購入したいとお考えであれば、まずはそのインタリオが古代ローマ時代の本物か、古代ローマ以降の作品か、あるいは現代に製造された偽物であるかを入念に確かめる必要があります。

希少性と価格は年代によって大きな違いがある為にインタリオの年代も確かめるべきです。例えば同じ品質の石と同じ題材のインタリオでも、それが制作された年代が紀元前1世紀か、あるいは紀元2世紀かによって価格が変わるからです。

古代ローマインタリオの専門家が品物を鑑定する際は、ここで挙げた四つの基準を全て同時に確認します。しかし、専門家でない人物が鑑定した場合、年代を間違える可能性が高いでしょう。インターネットが普及した現代では、インタリオ作品を目にする機会も増えていると思いますが、よく年代(本物であるかどうか、また題材も)に関する間違いが数多く見られるのも事実です。

 

例えば、一例として、紀元前2世紀のインタリオのスタイル(ヘレニズムあるいはイタリックスタイル)は、後年のスタイル(紀元前1世紀 – 紀元4世紀)とは大きく異なります。古代ローマインタリオが実際に作成されたのは、紀元前1世紀でした(« pellet style» においては、紀元前2世紀に始まっていますが、スタイルが完全に古代ローマとは言えない為に、割愛します。)アンティークマーケットにおいて、紀元前2世紀のインタリオ(ヘレニズムあるいはイタリックスタイル)を見つけるのは非常に稀な事です。もし、 紀元前2世紀の古代ギリシャのインタリオ と呼ばれる品物を見つけたとしても、かなりの確率で年代が間違っている可能性があるため、よく確認するようにしましょう。

 

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一通り、古代ローマインタリオの判定についてお話をさせて頂きました。ではこのインタリオはどの年代のものでしょう?

 

仙波亜希子 Akiko semba

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古代美術 神の椅子〜古代ローマ&古代ギリシャ〜


着座姿勢の神と女神について〜古代ローマ&古代ギリシャ〜

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王座に腰かける古代ギリシャの女神

古代世界において、着座姿勢の人物は王族の特性を持つ事を示していました。紀元前3世紀までに、シュメール人とエジプト人は王座に腰をかけた人物を神として表現してきました。そして、国王や専制君主もまた神と同様に王座に腰をかける形で表現されてきたのです(この人物たちは神の流れをくむか、神の生まれ変わりと考えられていました)。

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ローマ執政官の高位高官用の椅子

何世紀もの間、椅子によってその人物の位を示すスタイルは続き、例えばローマの執政官も高位高官用の椅子に座っていました。

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こちらはローマ皇帝の例。ローマ皇帝はもう高位高官用の椅子に座っていませんが、神のように王座に腰かけています。

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 オリンポスの神々 (アクロポリス美術館)

ギリシャ人において、全ての神は同等ではなく、それぞれの神には階級がありました。

中心的な神々はクロノス一族出身の神々です。ゼウス、ポセイドン、ヘラ、デメテル、ハデスがこれに該当し、王座が与えられます。しかし、ギリシャの芸術作品でアポロン、アルテミス、サテュロス、ニンフ、バッカスが王座にいることはありません。その理由は、この神々が位の低い神々(ニンフとサテュロス)もしくは死を免れない母親から生まれた事が理由です。

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ヘレニズムの銀貨に描かれた王座に腰かけるポセイドンとアテナ

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王座に座るアテナ・ニケーフォロス

ただし、神の伝令役であり商業と医学に関係した神であるヘルメスは、ゼウスとタイタン族アトラス の娘マイアとの息子であり、王座に座る権利を与えられています。ゼウスとメーティス(ゼウスの最初の妻)との間に生まれた娘であるアテナも同様の扱いです。

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 王座に座るフォルテュナとプディーキティア

ローマ人はこの考え方を少し変化させて取り入れました。最も偉大な神々のみに王座を与えたのです。すなわち、ジュピター、ネプチューン、ユノ (そしてユノに関係する女神プディーキティア)、ミネルヴァ、セレス(そしてセレスに関係する女神フォルテュナ)です。

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王座に座る パテラを持ったフォルテュナ

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左から 王座に座る パテラを持ったジュピター 笏は失われています。

中央 右 王座に座る パテラを持ったジュピター (右側の作品は最高のクオリティです)

ジュピターは王座に座る神々の中でも最も偉大な神です、王座に座るジュピターが笏とパテラ、足下に鷲を従えるのは古代ローマ1世紀〜2世紀にかけて最もポピュラーな基本のスタイルです。古代ローマのインタリオが好きな方は是非覚えておいてくださいね。

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王座に座り、勝利の女神ニケ 又は 稲妻を持つジュピター

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 収穫の神 ボヌス・エヴェントス パテラと麦を持っています。

位がそれほど高い神ではない場合は立ち姿で表現されます。

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パテラ 古代ローマ 3世紀
Paris, National Library, Cabinet des Médailles. 所蔵

パテラとは、神にワインを捧げるお皿のことです。

 

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腰かけるロマ ローマ時代のブロンズ製コイン

ロマなど、王族の中には腰かけているもののその場所が王座ではなく岩である場合がある。これはおそらく、その人物が高い階級にいない(位の高い神との違い)ことを示すためのものだと考えられます。

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腰掛けたマーキュリー 翼の生えた兜をかぶり、財布を持っています ブロンズ像

同様にジュピターの息子であるマーキュリーも( ヘルメスがゼウスの息子であったように)同様です。マーキュリーは神の伝達役で商業の神であり、彼は立っているか王座ではなく岩の上に座って表現されます、このことは彼の階級が父親よりやや低いことを明確に示していると考えられます。

 

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古代ローマ アメジスト インタリオ マーキュリー

 

コーネリアンやジャスパー、カルセドニーなどの固い石よりも、古代ローマ人にとってアメジストは遥かに希少で高価な石でした。

古代ローマのインタリオの約1パーセントのみがアメジストで出来ています、だいたいはインド産の石です。

さらに、水晶やシトリンのように結晶化されたアメジストは、アゲートのような石よりも彫刻が難しく、アメジストは腕の良い彫刻家のみに渡された石です。この時代の腕の良い彫刻家は、約一ヶ月をかけてこのようなインタリオ一つを仕上げていました。ですから、アメジストにはベストクオリティの彫刻のみが施されています、

今回の作品は、そういった意味で非常に良い例です。石の質、石の形 (Type C4),、石の磨き、題材、彫刻のスタイル、全てが1世紀初期のユリウス・クラウディウス朝を思わせます。

アメジストの流行は特に紀元前1世紀〜1世紀初期の間に高まったので、1世紀を過ぎてからはアメジストのインタリオを見つけるのが非常に難しくなります。

ですが、気をつけて下さいね。

沢山のアメジストインタリオが、ヘレニスティックや古代ローマのスタイルで彫られています。だいたい17世紀か18世紀の作品にそれらを見つける事ができます。専門家には本物の古代ローマのインタリオか17世紀か18世紀かの作品の見分けは簡単にできます。

ポイントとしては、、

だいたいの17世紀、18世紀のインタリオは古代ローマのものよりも大きいのが特徴です。(古代ローマではインタリオを主にリングへセットしていたこと忘れないでくださいね。)

また、古代ローマのアメジスト自体が17世紀、18世紀のアメジストとは質が違います(何故なら古代の鉱山は17世紀、18世紀には既に存在しないからです)

石のカッティングと石の磨き方、彫刻のスタイルも違います。特に18世紀のものは道具の跡が違います。

インタリオに彫り込まれている人物の衣服と髪型も違います(例えば、アウグスティス時代のインタリオには、長いひげをはやした男性のインタリオは見つける事は出来ないでしょう。)

アメジストのインタリオを見た場合は特に、このレッスンのことを思い出してみて下さい。

 

 

 

仙波亜希子 Akiko semba

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紀元前6世紀のフェニキアの獅子のカメオのスイベルリング


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ギャラリーソレイユでご紹介する、この指輪は古代エジプトの影響を受けた紀元前6世紀のフェニキア芸術の獅子のカメオのスイベルリングです。希少価値の高さはもちろん、芸術性、コンディション、全てに秀でたすばらしい作品です。この作品をご紹介する前に、フェニキアリングについて真贋も含めて詳しくご説明致します。

 

カメオ彫刻の技術は、古代エジプトでスカラベをかたどった石や印象などが作られていた紀元前3000年頃を始まりとしています。

紀元前2000年代頃、エジプトの宝石職人たちはスカラベの背面に人間や動物などを彫り始めました。エジプト新王国時代(紀元前1580-1085年頃)には、職人たちはスカラベをスイベルゴールドリング(最高級品)のべゼルとしてその他の動物に置き換え始めました。この頃は、多くの場合コーネリアンにホルスの眼や猫、カエル、鷹、ネズミ、獅子などの動物が彫られていました。

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Egypte, New Kingdom

動物が彫られたコーネリアンが配されたエジプト製スイベルリング (新王国時代、紀元前1580-1085年頃)

 

近東でのエジプト統治時代、カナネアに続いてフェニキアは、エジプト芸術に影響を受け、スイベルリングを作るのにエジプトのスカラベを模倣し始めます。そして、紀元前1200年を過ぎると、フェニキアの文明は発展を遂げ始めたのです。

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エジプト式で彫られたフェニキア製スカラベ (紀元前1000年代初期) (イスラエル博物館)

しかし、アッシリア人(紀元前1100年および870-620年)がレバント地方を征服し、スイベルリングやスカラベはエジプトを除いて何世紀にも渡り姿を消すことになってしまいました。

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ステアタイトのネズミが配されたエジプト製スイベルゴールドリング (紀元前1000-500)

 

バビロニア王国のネブカドネザル2世(紀元前605-562年)による軍の攻撃を受けたフェニキアの街は抵抗し、エジプトと同盟を結びました。この時代に、フェニキアの芸術は、再びエジプトの影響を受けることになり、この時代のものと思われるスカラベが配されたスイベルリングが多く発見されています。この流行は、バビロニアおよびアケメネス朝による統治時代(紀元前539年、アケメネス朝ペルシャの国王、キュロス2世によりバビロニアは征服される)および、アレクサンドロス大王にレバント地方が征服(紀元前333-332年)される紀元前5、4世紀まで続きました。そして、スイベルリングは6世紀頃にフェニキア人からギリシア人やペルシア人に受け継がれていくこととなります。

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グレコ・フェニキア製スイベルリング (紀元前6世紀後期) (ウォルターズ美術館)

 

最高級のスイベルリングに対しては、宝石職人たちは銀や銅などよりも高価な金を使用し、スカラベを彫るのにはコーネリアンを使用していました。スカラベの裏面には、エジプトのスタイルを模倣し、意味をなさないヒエログリフを真似た文字や、エジプトの神、ファラオなどの装飾が施されています。しかし、彫刻手法はフェニキアの方法で行われていたため、エジプト製なのかフェニキア製なのかは我々にも判別することができるのです。

 

また、フェニキア製のものには現地の言い伝えである悪霊パズズなどが彫られています。

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悪霊パズズが彫られたコーネリアン・カメオを配したフェニキア製ゴールドスイベルリング (紀元前5世紀) (Content Family Collection)

 

職人たちは例外的にスカラベの代わりにその他の動物を使おうと試みることもありました。その中でも、近東(メソポタミア、アッシリア、シリア)や古代ギリシャでは、獅子は強さや王権の象徴的な動物でした。。。

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ギリシャ製コーネリアンの獅子のカメオ (紀元前5世紀) (メトロポリタン美術館)

 

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ギリシャ製コーネリアンの獅子のカメオが配されたゴールドスイベルリング (紀元前5世紀) (メトロポリタン美術館)

 

« Engraved gems with their backs cut in the form of animals had been common in earlier periods, but the only type to survive was the lion gem… They are all cut in cornelian. The lion are from the basic Egyptian type, with head turned… These gems are not too long to be set on swivels and worn as finger rings.» (John Boardman、 GGFR、 2001、 p.205.)

« 動物の形に彫られた宝石は初期では一般的であったが、最後まで存在し続けたのは獅子のみであった… これらは全てコーネリアンが使用されている。獅子は基本的なエジプトのスタイルで、顔が片側を向いている… これらの宝石がスイベルにセットされ指輪として付けられるまでにそれほど時間を要さなかった。» (ジョン・ボードマン、 GGFR、 2001、 p.205.)

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John Boardman、 GGFR p.205

 

獅子が彫られたコーネリアンのカメオはスイベルリングのべゼルとして6世紀頃のフェニキアの特権階級層のファッションアイテムでした。そして、おそらくはフェニキアのキプロス島から、フェニキア人を通じてペルシャ人、ギリシャ人に受け継がれていったのです。職人にとっては、この装飾をいかに立体的に見せるかが腕の見せ所でした。

 

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フェニキア製コーネリアンの獅子のカメオ、キプロス島 (紀元前6世紀) (大英博物館)

 

裏面に施された装飾やリングの作りをみると、明確にフェニキア製の獅子とペルシャ、ギリシャ製の獅子の違いが浮き彫りになります。

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ペルシャ製コーネリアンの獅子のカメオ (紀元前6世紀)

 

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ギリシャ製コーネリアンの獅子のカメオ (前面と裏面) (ザ・ビーズリー・アーカイブ)(紀元前6世紀)

 

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ギャラリーソレイユでご紹介する、このリングは、紀元前6世紀のフェニキア芸術を非常に良く表していて、コンディションも完璧です。コーネリアンの色は深くて力強く、リングは良質の金です。また、石の状態もとても良く石灰化(熱や酸によって一部白く変色する)の痕もありません。

獅子の仕上がりは精巧で、素晴らしいフォルムとチャーミングで愛らしい細部も楽しめます。裏面のインタリオにはエジプト式の王が彫ってあります。

 

このように、魅力的なフェニキアのリングですが、やはりフェイクジュエリーが多く見られますので、注意が必要です。

 

例えば、エジプト、フェニキア、エトルリア産のストーンを現代の指輪に留めて、古代のスイベルリングとして販売している例が多く見られるからです。本物と偽物を見分ける為のポイントを簡単にまとめましたので、興味のある方は是非お読みください。

〜確認ポイント〜

-材料の組成

-リングの作り、特にワイアが巻きついている部分。ワイヤの先がぷっつり切れていたり、ワイヤの装飾がはじまる位置など。

- 金のパティナ。

これらは言葉で説明しても経験がないと判断が難しいと思いますので、一つ、経験が無くても有効な確認方法をお知らせ致します。

-石とリングの論理的整合性。

これはどういう事かというと、例えば、石とリングが触れ合う部分を見た時に、石に欠けがあるのにシャンクが全くの無傷などの場合です。論理的に考えて、一方だけにダメージがあるのは不自然ですから、この場合は石だけが古く、シャンクが新しいの可能性が高いので注意する必要があります。

他の例では、石が石灰化しているのに、シャンクが無傷の場合も上げられます。石灰化とは何かというと、、、

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石灰化したコーネリアン製インタリオの例
石灰化してしまったコーネリアンは本来の赤と石灰化した白がまだらに混じり、価値が著しく下がります。
このコーネリアンインタリオの価格は約400$になります。

石灰化は石が高熱で焼けたり酸の影響で起こります。ですから、石灰化した石が無傷のシャンクについてる事は考えにくい事です、なぜなら石が石灰化する状況ではもちろんシャンクにも熱や酸によるダメージの痕跡がある事が当たり前だからです。。。

このような理論的整合性を無視した作品がオリジナルの本物の作品である可能性は極めて低く、価値の無い古い石を新しいシャンクにセットして、古代の作品として販売している事もありますから、よく観察してみて下さい。

本物の古代作品を手に入れるのは、簡単な事ではありませんし、もちろん、100%古代のオリジナルのリングと現代のリングに古代の石が配されたものとでは、値段は比較するまでもありません。

 

是非、本物の夢を見るために、注意深く作品に接してください。

 

 

仙波亜希子 Akiko semba

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古代ギリシャと古代ローマのカメオ芸術


 

古代ギリシャと古代ローマのカメオ芸術

 

カメオとは、単色か多層の様々な色が使われた石に彫刻をほどこしたものです。石に彫刻がなされていた紀元前2000年〜3000年のエジプトのスカラベにまでさかのぼります。

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古代エジプトのスカラベ (紀元前19世紀) (メトロポリタン美術館)

 

1 – ギリシャのカメオ

 

沈め彫りとしてのインタリオは個人的な印章として使用されていたという特別な特徴があった為に、浮き彫りのカメオより早く出現しました。カメオにはそのような実用的な機能はなく、本質的には装飾の目的で使われました。最初のカメオは、ギリシャ社会で贅沢の発展に伴い現れたのです。

 

エジプト人とフェニキア人は、カメオ彫刻と、稀に裏側に人間や動物の姿が彫刻されているスカラベを、紀元前7世紀中にギリシャに持ち込みました。また、紀元前6世紀のエーゲ海近辺の金属製のコインの開発は、その後カメオの彫刻を始めることになる彫刻家達を育成しました。

 

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金貨、リディア (紀元前600年)

 

紀元前5世紀、ギリシャ人とエトルリア人はスカラボイド(様式化されたスカラベの形に彫られた石) に神話的なものをいくつか彫刻しました。しかし、私達が知っているような «cameo» は、紀元前4世紀の後半に現れます。その時、暗い背景に対して瑪瑙で明るく強調している対照的な層を使用した、多層のカメオも現れました。

 

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エルトリアのコーネリアン製スカラボイド(紀元前6世紀)

 

The cameo form was invented about the time of Alexander the Great … The Hellenistic and Roman cameo was the response to a rising level of luxury . ” (Dr Martin Henig, Institute of Archaeology , Oxford)

「カメオの形(このカメオとは今日、私たちが知っている通常のカメオの事を説明しています。)はアレキサンダー大王の頃に発明された…ヘレニズムやローマのカメオは、贅沢さのレベルの向上を反映していた」 (マーティン・へニッグ博士、考古学研究所、オックスフォード)

 

私達は、古代の芸術家に関する情報をほとんど持っていません。歴史から分かることは、そのうちの幾人かの名前だけです。例えば、キオスのインタリオの彫刻家Dexamenos (紀元前5世紀に活動)、Pyrgoteles (紀元前336〜323年にアレキサンダー大王の下で従事)、蜂の群れに囲まれながら5層のサードニックスにリラを彫刻したことで知られる熟練したギリシャの彫刻家、サモスのDiodorusなどです。

 

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アレキサンダー大王のカメオの肖像画、Pyrgoteles によって彫られたと言われている (パリ、Cabinet des Médailles)

紀元前3世紀、最高のカメオ芸術は、支配者の肖像を彫刻するために使用されました。カメオの彫刻は、政治的プロパガンダを目的とした一流芸術となります。この時期から存在する最も美しいギリシャのカメオは、プトレマイオスの支配者達の肖像です。

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プトレマイオス2世と アルシノエ のカメオ «Gonzaga cameo »(紀元前3世紀前半) (サンペテルスブルグ博物館)

 

現在博物館で保管されている全てのギリシャのカメオは、ヘレニズム時代から紀元前4世紀の後半以降のものです。

 

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アレースに扮したヘレニズムの王子 (紀元前2世紀)

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   ヘレニズムまたは初期ローマのカメオ (紀元前2世紀)

 

 

 

2 – ローマ

 

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イリアスのテーマで彫刻された素晴らしいカメオ : トロイアスとポリュクセネー (紀元前1世紀) (パリ、Cabinet des Médailles)

 

紀元前2世紀前半、ローマによるギリシャ征服の時代に、ローマでカメオ芸術の趣向は始まり、紀元前1世紀後半に拡大します。紀元前63年、ポントスの王ミトリダテス6世の死後、ローマの将軍スッラとポンペイウスは、彼のカメオのコレクションを押収してローマに持ち込み、美しいカメオは流行となります。

裕福なローマ人は、ギリシャの彫刻家にとって最高の顧客になりました。彫刻家達の中には、ローマに奴隷として連れて来られた者もいました。その後、幾人かの自由なギリシャ人彫刻家は、職人としてローマに定住もしました。徐々に、ローマの彫刻家が学校で育てられ、その地でのスタイルを作り上げていったのです。

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ローマのカメオ、1つはおそらくギリシャ人彫刻家によって彫られたもの (紀元1世紀) 2つ目はローマ人に彫られたもの (紀元2〜3世紀)

 

ローマのカメオのテーマは主に神話でした。ギリシャ人同様、ローマ人もイリアスの英雄を表現することを好んでいました。紀元前1世紀後半、帝政期 (アウグストゥス) の始めからローマの支配者たち、特にユリウス・クラウディウス朝の王子もまた、すでにコインで行っていた様にカメオで自身の肖像を広めたがっていました。いくつかの素晴らしい皇室のカメオ (現在、重要な博物館にて所蔵されている) は、大きな多層の瑪瑙に彫られてます。ギリシャ出身の有名なローマの彫刻家Dioscoridesは、アウグストゥスの肖像の作家です。

 

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アウグストゥスの肖像 (紀元前1世紀後半) (パリ、Cabinet des Médailles)

 

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皇室に関連するカメオ芸術 : 皇帝クラウディウス (およそ西暦50年) と皇帝セプティマスセウェルスの家族 (およそ西暦200年)

 

カメオ芸術は、紀元1世紀以降本当に少しずつ普及しました。多くの職人がより小さく、より低品質のカメオを彫りました。しかし、カメオは常にインタリオより非常に希少で価値がありました。平面的なインタリオよりも立体的なカメオの彫刻ははるかに難しく時間を要した為です。

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2つのローマのオニキスカメオ (紀元2世紀) (ギャラリーにて販売)

ローマ時代に最も一般的に使用された石はオニキス (2層の瑪瑙で、上の層は白い方解石で、下の層は暗褐色または灰色青のカルセドニー) です。時々、宝石を切り出す時に、土台の黒を強調する為に蜂蜜で満たして過熱することにより、コントラストを増しているものがありました。また最高品質のカメオは、3つの層、もしくはそれ以上の層を見ることができました。

 

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3つのローマのカメオ  (紀元2世紀) (ギャラリーにて販売)

 

最小のカメオは、指輪やイヤリングにセットされていました。最大のカメオは、ペンダントや家具の部品に埋め込まれていました。

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指輪とペンダントにセットされているローマのカメオ

 

最も一般的なテーマは :

 

- 皇室のメンバーの肖像 (これらはおそらく皇帝もしくはその家族からの贈り物でした。)

 

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ユリウス・クラウディウス朝の王子の2つの肖像画 (紀元1世紀)

 

- 宗教的な題材: 神々や魔法のシンボル。この場合、これらの所有者は、彫刻された神や女神の保護の下に自分を置こうとしていました。私達は、多くのミネルバ (おそらく軍隊が着用)、メデューサ (メデューサは邪眼から持ち主を守る)、キューピッドを目にすることができます。

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3つのローマのオニキスカメオ、ミネルバ、メデューサ、キューピッド (紀元1世紀〜2世紀) (右の2つはギャラリーにて販売)

 

また、動物 (犬、ライオン、鷲)、幸運の碑文 (ほとんどの場合ギリシャ文字で書かれている)、記号的なもの、日常的なトピックのものもありました。

 

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 Derek Content 氏のコレクションから2つの古代ローマのオニキスカメオ

例えば上に上げた2つのカメオ、上段は結婚の記念のカメオ である有名な«junctio dextrarum »は互いに繋がれた2つの手で、団結、結婚の象徴です 、この場合は必ず2つの手が組合わさったデザインです、そうでなければ意味を持ちません。下段の耳に当てた手は「思い出す」を意味するギリシャの合言葉です。

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2つのローマのカメオ : ペガサスと « junctio dextrarum » (紀元1世紀〜2世紀) (ギャラリーにて販売)

3 – 古代のカメオと言われてる作品への注意点

 

古代のものとされるカメオが提供された時は、いくつかの重要なポイントを確認することが大切です。

 

a- 材質

 

材質の特定 : 貝殻、方解石、玉髄、瑪瑙、オニキス、水晶、象牙、骨、琥珀、そしてガラスまであります。

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ミネルバの高品質ガラスのローマのカメオ (オニキスを模倣) (紀元1世紀〜2世紀)(サイト掲載予定)

 

古代に使用された石は、後の時代に使われる石と同じものではありません。真の専門家は使用された石が古代の石かどうかを特定することができ、それがアンティークかどうか、また石以外のものかどうかを判別することができます。

 

b -彫刻の技術

 

古代の彫刻家は、最近の彫刻家と同じ道具を使用していません。彫りの跡から当時の道具を使って作られたかどうかが分かります。そしてまた、彫りのスタイル、顔の彫り方、髪の彫り方、洋服の彫り方、これらに特徴が出ますから、このような事を気をつけて確認する事が大切です。

 

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踊っているメナードのローマのカメオ (紀元1世紀〜2世紀) (トーヴァルセン美術館)

 

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ライオンに乗るキューピッドのオニキスカメオ。このテーマは古代ローマですが、彫刻の技術はローマ時代のものではありません (17世紀)

このように古代ローマのカメオのように見える後世の作品が多くあります。

 

c- 描かれているテーマ

 

専門家は、完璧にテーマを特定することができなければなりません。例えば、ギリシャの神とローマの神をごちゃ混ぜにしたり。シレニュスとコメディアンマスクを混同しない、など。

例えば、、、

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古代のカメオ、古代のインタリオの専門家になるには長い時間を必要としますが、深い知識を備えた専門家は正確な題材を間違いなく認識できます。

例えば、左上の緑色のインタリオの題材が愛らしい希望の女神SPESであるとすぐにわかるのです。それは右上の古代のコインや、下の美術館のカタログなどにも資料が掲載されています。(インタリオはギャラリーにて販売)

 

 

古代には決して現れなかったテーマもあります。例えばあるテーマは特定の時代では典型的ですが他の時代ではそうではありません。ドレスや髪型の流行もカメオ (またはインタリオ) の時代判定にとって重要な要素となります。真の専門家は、人物のドレスや髪型を研究することで時代を識別する事ができます。例えば、ある種類の鎧や兜、ある形の髭は、古代ギリシャ時代には存在しましたが、アウグストゥスの時代には存在しなかったものがあります。

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ギリシャの哲学者のオニキスカメオ。テーマはローマ時代ですが、髪型と髭の形はローマ時代ではありません。 (17世紀)

 

d- 時代

 

もちろんこれが最も重要なポイントです!

 

幸いなことに、アンティークのカメオの現代のフェイクは非常に少ないです。なぜなら、それらはインタリオや金の宝石よりずっとずっと模造が難しいからです。ただ残念なのは、カメオの時代の特定ミスが多いことです。

博物館の外部には、ギリシャのカメオがほとんど存在しないことに注意して下さい。あるカメオがギリシャのものだと言われた場合、90%は最高でもローマ時代のもので、最悪の場合は、中世、ルネサンス、または最近のものです (17世紀〜19世紀)。

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このカメオはグレコローマンのものに見えます…しかしこれは…13世紀の間に彫られたものです!

 

良質のローマのカメオは極めて稀で、本物のカメオは高価です。そして殆どのカメオは低品質です。ローマのカメオと、後の時代 (16世紀〜19世紀) のカメオはよく混同されます。

 

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ローマ皇帝…17世紀のオニキスカメオです。

 

材質、彫刻技術、テーマを深く深く研究することで、真の専門家は時代が判別可能となります。

 

真の専門家は、これら全ての要点について完璧な知識を持っていなければなりません。

 

4 – まとめ

 

いわゆる古代カメオに興味のある方が気をつけなければならない事は、自分が購入するカメオ (またはインタリオ) の材質は何か、テーマは何か、そして最も重要なことですが、それがどの時代の物なのかを正確に知ることです。ギリシャのカメオ、ローマのカメオ、そしてより最近のカメオでは、価格が完全に異なるので注意して下さい。

 

価格が非常に高価である場合は、特に慎重になって下さい。古代カメオの真の専門家は、カメオのテーマと時代を確認するために、博物館の同等の品や資料ををいくつかみせてくれるでしょう。そうでない場合は、この専門分野で認められた専門家の証明書を提示してくれるでしょう。

 

例えば、私の最も信頼している古代カメオと古代インタリオのフランスの専門家は30年のキャリアがありMichel DuchampやJean-Philippe Mariaud de Serresのような有名な学者や専門家と知識を共有しています。そして、フランス国立図書館、Cabinet des Médaillesの専門家と意見交換を行い、作品を説明する時には必ず美術館所蔵品などの資料を提示します。

 

高価なカメオ (またはインタリオ) と言われているものについて何か疑問がある場合、クリスティーズなどにアドバイスを貰うのも良い事だと思います。

 

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 カメオ 若いサテュロスとプリアップ、後期ルネサンス(ギャラリーにて販売)

 

 

仙波亜希子 Akiko semba

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