石とガラスの緻密な絵画、モザイク

アンティークの技法の一つにイタリアで生まれたマイクロモザイクと呼ばれるものがあります。テッサラと呼ばれるガラスで出来た一ミリに満たない極小のパーツを無数に隙間無くはめ込んで、絵画のように仕立てる驚異の技法です。大きな作品にはもちろん、小さなアンティークジュエリーにも使われています。優れたマイクロモザイク作品は目を疑うような細かさの物ばかりです。

初期のモザイクはより大きな石やガラス片で作られていましたが、複雑なマイクロモザイクの微小のピース(1ミリ以下)は切るとテッセラになるガラスの薄く細長い一片や「スマルティ・フィラーティ」と呼ばれるガラスの糸を作ることにより得られます。

現存する古代ローマのモザイクには、特にポンペイから来た非常に小さなテッセラを用いた、極めて精巧に作られた詩情溢れる作品があります。

 古代ローマのモザイク

ポンペイの壁画 古代ローマのモザイク

 モザイクを含むローマ時代の美術品が、考古学的発掘により発見され始めるようになった後、モザイクの古い技術が16世紀のヨーロッパで再現されます。モザイクの技術が開発、改善され、モザイクイメージは徐々に洗練されて行きました。そして、テッサラとして知られる個々のガラス片はより小さくなり、利用できる顔料の幅も広がっていったのです。

1588年にフェルディナンド・ド・メディチが特別な硬石モザイク美術を支え、支援するためにフィレンツェにグランド・デュカル工房を設立します。多くの職人がフィレンツェで修行を積んだ後イタリア各地で工房を開き、硬石モザイクがフィレンツェ、ミラノ、およびローマで生み出され、プラハとサンクト・ペテルスブルグで模倣されました。

バチカンのモザイク工房は、広大で込み合う湿気の多い屋内環境のために痛んだサン・ピエトロ大聖堂の祭壇の背後のモザイクのレプリカを作るため、1576年に設立されました。石の顔料の自然なバリエーションの巧みな開発により、すぐに職人達は完璧な「ストーンペインティング」を作ることを目指すようになります。

18世紀にローマのバチカン・モザイク工房でガラスのミクロモザイク技術が開発されました。これらは持ち運びが簡単で、家に持ち帰ってオブジェにつけることもできるため、グランド・ツアーの旅行者達に人気のある商品でした。マイクロ・モザイクは家具やかぎタバコ入れ、類似のオブジェやジュエリーにはめ込むための小さなパネルでした。マイクロモザイクの特徴はテッセラが通常正方形ではなく長方形であることです。最高の作品には一平方インチごとに1400個のテッセラが含まれ、最も優れたコレクションは エルミタージュ美術館とロンドンのギルバート・コレクションに収められています。

19世紀の始めにローマで多くの私設のモザイク工房が作られ、様々な大きさや品質の商業的モザイクが手に入るようになりました。精巧で値の張るテーブルトップや絵、ジュエリーなどがヨーロッパの貴族のために作られる一方、平均的旅行者向けのピルケースやペーパーウェイトのような安いお土産品も作られるようになった。これらの例はロシアのサンクト・ペテルスブルグにあるエルミタージュ美術館やバチカン、また新しくオープンしたロンドンのギルバート・コレクション美術館で見ることができます。

こちらの作品の細かさには目を奪われます、拡大写真でパーツの小ささをご確認下さい。

作られた年代はギャラリーにてご紹介しているバッカスのブローチと同じ年代です。

細かなガラスでグラデーションを繊細に表現した仕事に驚きます。ただガラスをはめ込んだのではなく、立体感がでるようなガラスのはめ方ですね。

頬の丸みなども、円を描きながらガラスをはめてあります。

こちらは遺跡がテーマのモザイク。

犬の毛並みのウェーブが波形にカットしたガラスで表現されています。

 

 マイクロモザイク・ジュエリー

グランド・ツアーの時代(17世紀から19世紀)に、マイクロモザイク・ジュエリーを身に着けることが流行し、ヨーロッパの裕福な家の子弟がヨーロッパ中を旅して回ります。イタリアは芸術と文化において誉高く長い歴史を持つため、旅行者に最も人気のある場所でした。イタリアはまたガラスの製造でも有名で、イタリアの職人達はガラス製造技術を裕福な客向けのミニチュアのマイクロモザイク画を作るために転用しました。

この時代のモザイクを用いたジュエリーには、ローマ神話もモチーフになることがありましたが、通常コロッセウムやバチカンの広場のようなイタリアの有名な名所が描かれています。裕福な旅行者はお気に入りの動物や有名な芸術作品など自分だけのモザイクを注文しました。典型的なモチーフは古代ローマの遺跡、花の枝、鳩、犬、鳥、蝶などの動物、宗教的テーマなどで、これらは絵画から模写されています。最も小さなモザイク片は18世紀後半から19世紀末の作品に用いられているものです。

宗教上の意味が沢山込められた大変珍しいモザイククロスペンダント

花のモザイクブローチ サイトにてご覧頂けます。

テッサラだけではなく金の粒も使ったモザイクなので珍しく華やかな印象です。

天然真珠も留められてフェミニンです。

鳩のモザイクブローチ サイトにてご覧頂けます。

可愛らしいペールトーンのブルーと鳩の組み合わせが綺麗なモザイク。

バッカスのモザイクブローチ ギャラリーにてご覧頂けます。

1800年頃の古いモザイク作品、驚異の細かさと滑らかさです。

 

フォルチュナート・ピオ・カステラーニ (Fortunato Pio Castellani  1794–1865)

 古代ローマや 初期キリスト教の壁のモザイクをコピーすることで「考古学様式」の彼の作品の主題をさらに幅広いものにしました。

こちらはギャラリーにて扱っておりましたにカステラーニ作(?)のクラバットピンです。(販売済)

コメディアンマスクのモチーフ。

 ジャコモ・ラファエリ (Giacomo Raffaelli 1753-1836)

彼は最も重要なミクロモザイク作家です。ラファエリがこの技術を発明した可能性が極めて高く、ラファエリは教皇や外国の多くの顧客から仕事の依頼を受けました。19世紀前半のナポレオンの統治下で、ユージン・ドゥ・ボアルネの命令により彼はミラノに移り住み、バチカンにあるものと同様のモザイクのアトリエを開いています。ミラノで彼はチザルピーナ共和国副大統領、フランチェスコ・メルチ・デブリルのために『砂漠』と名づけられたテーブル用の装飾を作り、これは今日コモ湖のカルロッタ邸にあります。彼はまた現在ウィーンのミノリテンキルフェにあるレオナルド・ダ・ビンチの『最後の晩餐』のコピーも作り、この作品は彼の最高傑作とされています。もう一つの有名な作品は、ナポレオンが1804年に法王ピウス7世に贈った凱旋門の形をした時計で、現在ギルバート・コレクションに収められています。ナポレオンの没落後、彼はローマに戻り、いくつかの重要な地位を保ちつつ、モザイク作家として仕事を続けました。その中で最も名誉あるものは、ロシア皇帝と、彼をポーランド貴族に列したポーランド国王、スタニスラオ・アウグストの両方の学芸顧問の地位です。ラファエリはバブイーノ通りの家に住み、ローマのサン・スタニスラオ・ポーランド教会に埋葬されました。

こちらはジャコモ・ラファエリ作の貴重なマイクロモザイクのリングです。

素晴らしい細かさ、滑らかさ、ラファエリが好んだモチーフの蝶、そして倒れそうなリンゴの木の組み合わせが可愛く優しい色合い、、。

ホームページにてご覧頂けます。

ジャコモ・ラファエリ作

ヴィクトリア&アルバート 美術館所蔵品

ジャコモ・ラファエリ作品

ジャコモ・ラファエリ作品

 

参考文献:ジャネット・ガブリエル、『ギルバート・コレクション』:マイクロモザイク、ロンドン、2000年

ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のギルバート・コレクション:
http://humidfruit.wordpress.com/2010/07/31/victoria-and-albert-gilbert-collection-micromosaics/

アンティークギャラリーソレイユ http://www.antique-gallery-soleil.com/

お問い合わせ info@antique-gallery-soleil.com

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