18世紀のセンチメンタルジュエリー
- 2012年11月10日
- アンティークジュエリー
現代に生きる私達に夢を見させてくれる古い指輪は、それを手に入れて身に着けている人には趣味や独創性のしるしとして、また、それを鑑賞する人には幻想や審美の対象として大切にされています。当時の指輪は強い拘束力のある感情的な関係の恒久的なシンボルとして考えられ作られていたのです。
18世紀のセンチメンタルジュエリーはナポレオン3世の即位以降のものと比較すると、とても控えめな素材使いです。
象牙に水彩されたデリケートな肖像画、水晶(アロンソンのダイアモンド)や半貴石やカラーガラス、人造宝石(アルザス出身でルイ15世の治世にパリで開業したGeorg Friendrich Strasseが作っていたもの)と呼ばれていた白い石が貴石の代わりとして使われたものが多く、髪や紙や木を使った細工が施されています。
そうしたものが、純度がそれほど高くない金、金メッキが施された銀、銀、ポンポン(金色をした銅合金。その名は一人の大臣の名前に由来)の上に乗せられたのです。
この控えめな素材使いには3つの理由がありました。
1、貴重な素材(金属や半貴石や真珠)は、希少且つ高価だったことが挙げられます。手作業で地中から掘り出された後に長い海路や陸路を経て宝飾商に届いていたからです。また、そのような宝石の顧客は多くはありませんでした。
2、様々な不測の事態(フランスでは革命という大きな出来事がありました)や盗難や流行の変化があったりして、時の流れとともに、高価な宝石が取り外されて再加工されたことが挙げられます。
3、今よりも物質主義者でなかった当時の男性や女性にとっては、指輪の価値よりも”想い”の方が重要だったからです。
ポンパドゥール侯爵夫人は、愛人だった王の横顔を象った瑪瑙がついた指輪が一番好きでした。また、有名なデュ バリー伯爵夫人の宝石目録を見ると、彼女が控えめな素材使いの物も所有していたことが分かります。
この“想い”は「しるし(証拠)」と「記念」という2つの主な形を帯びています。
当時、指輪は先ず、社会的アイデンティティを示しました。男性や女性(当時は男性も女性も宝飾品が好きで、機会があると交換していた)が指輪をつけていれば、それは、彼らの階級や社会的地位が示されるということでした。例えば、紋章入りのシュヴァリエール(指輪)をしていればその人物が貴族だと推測できたし、イニシャルやカメオは趣味の良い人を表していたし、大きなダイアモンドは「(貴族階級や財界の)大旦那」であることを示していました。大旦那でなかったカサノヴァでさえも自分の宝飾品をきらめかせて、圧倒的な人物に見えるようにしていたのです。
そして、当時の階級は「自分の手を使って働いているかどうか」という点で分類されていた、ということを理解しなければなりません。
芸術家や優れた職人を例にとると、彼らの社会的地位は低かった(ある程度裕福な擁護者の使用人として生きていることが多かった)のですが、肉体労働をしていないということで上流階級や宮廷の人々と接することができたのです。芸術家(画家・音楽家・彫刻家など)の肖像画を見ると、指輪(趣味や文化そして富を象徴するところの彫りが施された硬い石で飾られたものが多い)をしている人が多いのは、そういうことなのです。指輪をしているということは、どこでも誰の目にも、「両手を使っていない」ということを示していたのです。
芸術家や耽美主義者のアクセサリーによって、「社会的アイデンティティのしるし」から「文化的アイデンティティのしるし」へと変わり、趣味の良い人が確かに趣味が良いということは、その人が独自に選択したものよって示されます。趣味の良い人は、高価なものよりも、美しくて稀で独創的なものを求めます。古代の人々と接して精神を高めるべく訪問したイタリアやギリシャから持ち帰られた古代のインタリオの宝石は、クロイソスの古代彫石コレクションに値するものであり、パリのサロンではゴルコンダのダイアモンドよりも興奮を巻き起こしたことでしょう。
指輪はまた、個人的アイデンティティも示します。指輪をしている人に個性を与えるのですが、今よりも集団性や階級性が強かった社会において、このことは重要でした。また、選んだ「石」や「カメオのテーマ」や「インタリオのテーマ」で、自分の趣味や好みや信条を表現するということもしばしば見られました。
例えば、有名な摂政で道楽者だったフィリップ・ドゥ・オルレアンの指輪に酒神バッカスの頭が刻んであった、と聞いても誰も驚きませんでした。樹状の模様が霧に覆われた景色を連想させるので画家のトマス・ゲインズバラはモスアゲートが好きだった、と聞いても誰も驚きません。廷臣か大使が君主から拝領した自分の肖像入りの指輪を持っていることを自慢している、と聞いても誰も驚きません。
「しるし」は、長期にわたって残ることが望まれることもあり、何かの記念という性格も帯びるようになってきました。日々の出来事(カードでの勝利、モンゴルフィエール兄弟の気球があがったこと、好きな犬、出会い、など、、)から重要なこと(結婚成功、結婚祈願、誕生祝、帰還が覚束ない出発、死別の悲しみ、など、、)に至るまで、あらゆる出来事が対象になり得ました。
そうした出来事やそれに伴う感情や誓いを記念するための具体的な証し、触知できる「しるし」、心と精神に同時に響いて目に涙を誘う(当時、人は簡単に泣いた)明示的もしくは暗示的なメッセージが好まれたのが、18世紀の終わりだったのです。
愛といえば、具体的な証しである彫り物が施された結婚指輪、肖像画、様々な石(ルビーは情熱、エメラルドは希望、サファイアは喜び、ダイヤモンドは持続など、、)ハート型や繋いだ手の形や花束の形の指輪、シンボル(嘴を合わせた鳩、冠を戴いて絡み合って輝くハート、弓を射るキューピッドなど)で装飾された指輪があります。また、「あなたの愛は私の喜び」「友情を贈る」といった銘句や好きな人の名前やイニシャルといった明快な言葉やフレーズ、もしくは、どこから空けるか分からないような隠しロケット、ハートマークがついた名前などのような隠語的な言葉やフレーズで装飾された指輪もありました。
忠実、貞節という意味では、ヴェスタ神に仕える巫女たちの祭壇の下で横になる犬、生え出たところで死ぬまで生えているキズタ、などです。
死といえば、墓・骨壺・シダレヤナギ・ドクロなどがシンボルとされます。また、木や象牙に描かれたり彫られたりする肖像(死者の名前と死亡日が付記されることもある)もあります。
愛情でも哀惜の気持ちでも感情が頂点に達すると、指輪を「聖遺物箱」のような、つまり、愛する人の一部を収める入れ物(その人の肖像やモノグラムが描いてあり、その中に乳歯や髪の毛やなんらかの形見を入れる)に変えてしまうようなこともありました。
このような種類のアクセサリーは、自分の手元に保管したり、親友に友情のしるしとして渡したり、親族に愛情のしるしとして渡されていたのです。このような種類のアクセサリーは、人が亡くなった後、悲嘆と貞節のしるしとなりました。
例えば、マリーアントワネットは、ヴァレンヌでの苦難の後、「苦しみによって白くなった」という銘が添えられた自分の髪が入った指輪を、親しい友人だったランバル公妃に贈り、不幸な王妃はまた1793年3月にジャルジェ騎士を介して指輪と王の髪をアルトワ伯爵に渡しています。
そのような形でアクセサリーとなって長持ちすることで、感情や愛情は一切の状態悪化から逃れようとしました。自分の相手への想いを美しいジュエリーへと変えて身に着ける、とてもエレガントな感覚です。
2世紀以上が経った今、18世紀の指輪はその使命をこの上なく見事に果たしている、と言うことができます。18世紀の指輪は、初めに込められた感情の力によって、それを指にしていた人によって共有された内的心情によって、全ての人間に勝るその永続性によって、死者から生者へと世代を越えた継承によって、今なお私たちを深く感動させてくれるのです。
18世紀の指輪は、秘められた夢や顧みられない夢を私たちの目に甦らせます。18世紀の指輪は、元のままの豪華さによって、過去の断片を甦らせるフレスコ画を私たちの手の上に広げてくれ、私たちは幻想をいだいて感動し、生き生きとした当事者になるのです。
ギャラリーにて扱っている18世紀のセンチメンタルジュエリーです。どうぞご覧下さい。
Parisのアンティークディーラー 仙波亜希子