回転式ベゼルの指輪 〜スイベルリングの紀元を探る〜
- 2014年01月02日
- アンティークレッスン
スカラベ付き回転式ベゼル指輪
ベゼルが回転し裏表の装飾が楽しめる独創性を持ち、かつ大変シンプルな形の指輪は宝飾品の全歴史を通じてもっとも長く続いたもので、
なんと4000年もの間流行っていました!その歴史を皆様に知っていただきたいと思います(^-^)
エジプト、アビドス、第12王朝の指輪
第12王朝の金製指輪(メトロポリタン美術館)
エジプト中王国第12王朝期(紀元前20~18世紀)、ファラオたちは金鉱山があるヌビアを征服し、スイベルリングを用いた最初の金の指輪が作られたのです。とりわけアビドスのこの時代の貴族の墓でスイベルリングの指輪が発見されました。
エジプトのスイベルリングにとって一番輝かしい時代は、新王国時代(紀元前1500~1000年頃)でした。その前の時代と同様、スイベルリングの指輪には必ずしもスカラベが付いていたわけではありません
スカラベ付きスイベルリングの流行はローマ帝国がエジプトを征服する(紀元前30年)まで、2000年間続きます。
プトレマイオス朝(紀元前300~30年)のエジプトのスイベルリング2種
新王国時代に、有力なファラオであったトトメス1世とトトメス3世(紀元前15世紀の前半)はカナンの地やレバント(近東)を征服しました。エジプトの様式がこの地域に入り込み、レバントの人々はスイベルリングを使い始め、スカラベはこの時代から流行し出しました。
紀元前12世紀の近東の文明。レバントでのエジプトの支配分布図
紀元前1200年以降、すなわちミケーネ文明末期以降、フェニキア人の都市の文明化が起こりました。フェニキア文明や芸術は当初、エジプト人とミケーネ人に多くの影響を与えます(紀元前1200年)。
その後、アッシリア人(紀元前1100年および870~620年)がレバントを征服し、スイベルリングやスカラベの形式は何世紀もの間姿を消しました。
バビロニアの王、ネブカドネザル2世(紀元前605~562年)の軍隊がフェニキア人の都市を攻撃した時、フェニキア人は抵抗を試み、エジプトと同盟を結びます。この時代に、エジプト様式の影響がフェニキア芸術に再び入りました。数多くのスカラベ付きスイベルリングがこの時代のものとされています。フェニキア人たちは金より銀を用い、意味を持たない偽の象形文字を使用し、グラニュレーションで指輪を飾っています。この方法はバビロニア人とアケメネス朝(ペルシャ王キュロス2世、紀元前539年にバビロンによって征服)の支配の間続きます。この形式は、アレキサンダー大王のレベント征服(紀元前333~332年)まで、紀元前5世紀も4世紀も継続しました。
フェニキアのコーネリアンスカラベ付き金製スイベルリング、紀元前6世紀
カルタゴは、紀元前814年にティルスの王が建設したフェニキアの都市です。この都市は、紀元前4世紀に地中海西部で強大な勢力となりました。カルタゴのフェニキア人もスカラベ付きスイベルリングを用いました。彼らの影響があるため、このような指輪をスペイン南部、サルデーニャ島、コルシカ島、シチリア島で見つけることができます。
スカラボイドが付いたフェニキア様式のスイベルリング、紀元前4世紀(スペインで発見)
ギリシャ文明は紀元前9世紀にフェニキア人と密接な関係を持ち始めました。ギリシャ人はギリシャ文字を創り出すために、フェニキア文字を使っています。キプロスは紀元前6世紀半ばに、ギリシャ人とフェニキア人が半々だった大きな島です。
紀元前650年に、ギリシャ人はエジプトのナイル川デルタにナウクラティスという都市を建設しました。サイス朝(エジプト第26王朝)(紀元前665~525年)時代に、ギリシャ人とエジプト人との関係は密になります。
この時代に、スカラベ付きスイベルリングがギリシャで流行し出します(レバントとエジプト双方の影響)。ギリシャ人は銀と同様に金も用い、スカラベを彫るためにカルセドニーとコーネリアンを使いました。紀元前6世紀以降、彼らは自然なディテールを持たないよりシンプルなスカラボイドの形も使っています。また、紀元前4世紀以降、平らな楕円形の石を使用するようになります。
フィリグリーで飾られたギリシャの銀製スイベルリング、紀元前500年頃 (ケルキラ島)
コーネリアンスカラベ付きギリシャの金製スイベルリング、紀元前4世紀
地中海全域にわたるギリシャ人の貿易の影響と植民地によって、ギリシャの都市はスカラベ付きスイベルリングの形式をイタリア南部へと広めていきました(特にターラントの都市では顕著)。
地中海地方におけるギリシャの植民地 (赤い点) とフェニキアの植民地 (黄色い点) 、紀元前 550 年頃
サラミスの海戦 (紀元前480 年)で、ギリシャ人はペルシャ帝国に勝ちます。ギリシャの都市はとても重要となり、それらの影響も大変重大になりました。ヘレニズム時代には、多くのスカラボイドと平らな楕円形の石が付いたスイベルリングがあります。
紀元前3世紀の地中海文明 :ギリシャ (黄色の地域)、フェニキア (緑の地域), ローマ(青の地域)
紀元前6世紀に、イタリア北部と中部では、エトルリア文明が重要になりました。この文明は紀元前300年頃まで重要性を保ちます。エトルリア人は、ギリシャとフェニキア文明の影響を受けています。彼らは、紀元前6世紀末期までには、スカラベ付きスイベルリングを使い始めていました。その影響はギリシャ人から来たのです。しかし、紀元前4世紀には、エトルリア人はカルタゴからも影響され、指輪を飾るのにグラニュレーションを用い始めました。
ギリシャ人 (赤い地域) とフェニキア人(青い地域)に近接している紀元前4世紀のエトルリア (緑の地域)
フェニキア様式のエトルリアの銀製スイベルリング、紀元前4世紀(大英博物館、 1859)
彼らはスカラベ付きスイベルリングのこの形式を紀元前3世紀まで続けます。
スカラベ付きギリシャ様式のエトルリアの金製スイベルリング、紀元前4~3世紀 (メトロポリタン美術館)
19世紀の回転式指輪に付けられたエトルリアスカラベ(紀元前4世紀)(メトロポリタン美術館)
時折、16世紀から18世紀の近代に、古代文明の愛好家がスカラベ付きスイベルリングをレバント、ギリシャ、エジプトといった所で見つけることがありました。ナポレオン・ボナパルト(1798-99)のエジプト征服以降、スイベルリングがヨーロッパで流行り始めましたが、そこではスカラベは使われず、インタリオやカメオ、細密画の使用が好まれました。
インタリオ付き金製スイベルリング、フランス、1800年頃
19世紀初頭の様式の金製スイベルリング
タルクイーニア近郊にあるエトルリア人のモンテロッツィ墳墓は18世紀に発見されましたが、最初の考古学上の発掘は19世紀に行われました。
カンパーナコレクションのエトルリアの金製指輪、紀元前3世紀 (ルーブル博物館)
著名な収集家であるジャン・ピエトロ・カンパーナ侯爵(1808~1880)は、1844年頃にカエレでの発掘を始めました。彼のエトルリア芸術作品のコレクションは有名になりました。「エトルリア様式」の流行は1850年以降に始まったのです。有名なローマの宝石商でカンパーナ侯爵の友人であるフォルトゥナト・ピオ・カステラーニ (1794 ~1865)は、エトルリア宝石のこの形式を広めました。エトルリアスカラベ付きスイベルリングを1850年~1860年に作り出したのです。カンパーナのエトルリア宝石コレクションは、1861年にナポレオン3世に買われました。このコレクションはルーブル博物館で展示されました。ウジェーヌ・フォントネーや後のルイ・ヴィーゼといったフランスの宝石商たちは、19世紀末までフランスでエトルリア様式を継続しています。
カステラーニによる金製スイベルリング、 1860頃
「エトルリア様式」で作られた金製スイベルリング、フランス、 1865頃
1922年のツタンカーメン王墓の発見は、スカラベ付きスイベルリングの形式を力強く復活させました。しかし、この時代の愛好家は、エトルリアスカラベよりヒエログラフ付きスカラベの方を好みました。
1922に発見されたツタンカーメンのトルコ石スカラベ付き金製スイベルリング 。
現在も引き続き、スカラベを付けたスイベルリングを製作している宝石職人もいます(特にエジプトもの)。
回転式ベゼルのついた現代的な指輪
仙波亜希子 Akiko semba
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