18世紀ブローチまたはイヤリングの年代を見極める手がかり
18世紀の指輪については、リングのアンティークレッスンでご説明致しました。今回はブローチとイヤリングの年代を見極める方法をご説明致します。いわゆる18世紀のジュエリーを観察する際には、注目すべき4つの状況があります。
1) ジュエリーが完全なる本物の場合。
本物のバロックジュエリー自体が非常に希少です、そしてリペアがまったく無いバロックジュエリーを見つけることはさらに希です。リペアがあった場合には、リペアの善し悪しがありますから、注意してください。
非常に素晴らしい17世紀後半のゴールドのエレメント、ダイヤモンド、エメラルド、エナメルが施されています。このエレメントはクロスの上部でした、今はそのクロスが欠けています。リボンに掛けるためのオリジナルのバチカンは、今も裏側にあります。しかし、それは小さかったため、宝石職人がより大きなものを19世紀に加えています。バチカンを良く見てください。デザインの違い、 製作方法、宝石の留め方、エメラルドの産地 (ブラジル産)によって、この修繕の痕跡がはっきりと分かるのです。この作品はオリジナルの状態ではなく、修繕がされていますが、それは問題ではなく、大変美しい17世紀ジュエリーのパーツの一つとして希少な作品です。
18世紀 « girandoles» ピンク色ホイルにトパーズを付けたイヤリング
そして、宝石についても注意してください。この時代のジュエリーの多くは、本物の宝石ではなく、人造宝石が装飾されている事がありますから、特に人造宝石に注意してくださいね。
例えば、着色されたホイルの上に宝石を置いて、宝石の色を強めている場合があります。 時には、宝石自体には色がほとんど無く、単にホイルによる色が反映されているだけの場合もあります。ピンク色の宝石には特に注意しなければなりません。
2) ジュエリーが現代製のフェイク。
ジュエリーのデザイン、製作方法、金属による宝石の留め方、宝石のカット、宝石の産地など、これらはそのジュエリーが本物であるか否か知るための手がかりになります。
3) ジュエリー の一部が本物。
例えば、リングのベゼルは18世紀のもので、フープはオリジナルではない場合(フープが現代の物、又はアンティークの物ではあるが、別のジュエリーのフープを使用している等)そのスタイルと現代の手法がフェイクである事の証拠になります。また、本物のパーツと他のパーツの間にあるはんだ付けの跡にも注目してみてください。
これについては« リングのアンティークレッスン»で詳しく説明していますから、是非ご覧ください。
4)19世紀のジュエリーが18世紀と間違って説明されている。
この状況はアンティークマーケットでよく見られます。18世紀のジュエリー(ジョージ王朝時代前半)と呼ばれている作品の中には、18世紀ではなく19世紀の作品の場合があります(ジョージ王朝時代後半またはヴィクトリア王朝時代)。何故このような事が起こるかというと、その理由は、19世紀前半に 、昔の方法でジュエリーを製作し続ける職人が存在したこと、またそれ以降の時代 (1850-1870年のフランスのナポレオン3世時代や、1890 – 1915年のベルエポック時代)に、18世紀スタイルジュエリーが流行していたからです。
今回のレッスンでは、ブローチとイヤリングの年代を確認するための手がかりを紹介します。その方法とは、まず裏側を見ることです!
イヤリングはフックを、ブローチは留め具やピン、ヒンジを観察することが、ジュエリーの年代を特定したり、異なるシステムが使用されているかを判断したりするための最も簡単かつ正確な方法です。
I – ブローチ
胸元を飾るジュエリー ストマッカー このジュエリーにはブローチピンは無く、ドレスにそのまま縫い付けていました。
17世紀と18世紀には、ブローチは流行していませんでした。その代わりにストマッカーと呼ばれる、裏にブローチシステム の無いジュエリーを直接洋服に縫い付けて使用していました。また、リボンで首元に留めるペンダントを使用していました。
一般的な« T-C» システム(ヒンジとピンがTのように見える、キャッチはCの形)は、18世紀には非常に珍しいもので、イングランドなどで小さなモーニングジュエリーに使用される程度でした。
オリジナル « T-C »システムを使用したイングランドのモーニングブローチ。
この18世紀のシステムデザインは、19世紀のものとは異なります。
« T-C»システムは、ヴィクトリア王朝時代で主に使用されていました。この時代のブローチピンは、とても長く、ブローチの外まで伸びているものが普通でした。これはヴィクトリア王朝時代 の厚い生地にブローチをしっかりと留め付けるための補助が目的でした。また、セーフティクラスプが発明されるまでは、ブローチが外れないように保護の役割も果たしていました。
後期世紀が変わる頃、ヒンジはより小さく丸くなりました。Cクラスプと小さなヒンジ(チューブヒンジでない)を使用したブローチは、1800-19世紀後半のものです。そして、ブローチピンも短くなってゆきました。
このシステムが完全に安全ではなかった事から、新しいシステムが生まれます。
それが« trombone clasp »です、このシステムは19世紀後半に登場します。チューブ型の留め具を引いて開ける様子が、トロンボーンに似ていることが名前の由来です。トロンボーンシステムはフランスではsystème à pompeと呼ばれています。
« safety clasp »オリジナルスタイルのセーフティクラスプは、1910年頃に開発されました。これらは現代の物とは仕組みが少し異なります。レバーが上向きではなく下向きに巻きこれまれています。それは基本的に留め金のあるCクラスプのような形状です。
1920年代頃、現代の折り込み式のセーフティークラスプが発明されました。これは重いジュエリーをしっかりと留めることができます。そのおかげで、ブローチはより機能的になり、現代女性のアクティブなライフスタイルにもブローチを安全に使用できるようになりました。
もしこれらの取り付けシステムが、18世紀と思われるジュエリーに施されている場合、二つの可能性があります。
1) ジュエリーが19世紀 (もしくはそれ以降)
2) ジュエリーは18世紀であるが、後にブローチに作り替えられている。この場合、ブローチとシステム間にはんだ付けの痕跡が見えます。もしブローチシステムが後から付け加えられている場合、それは簡単に見て分かります。はんだ付けの痕跡がなく、システムがオリジナルに見えるなら、そのブローチは18世紀ではなく、おそらく19世紀です。そして気をつけて頂きたいのは、18世紀と19世紀のジュエリーでは価値も価格も違うということです。
実際に18世紀のジュエリーに、19世紀か20世紀にピンをつけた例をご紹介致します。
19世紀または20世紀に製造された18世紀ブローチにおける3つのエレメント。一つ目はイヤリングのトップ、二つ目はリング、三つ目は洋服に直接縫い付けられた小さなエレメントです。
ブローチに作り替えられた、18世紀のポルトガル «girandoles» イヤリング。トパーズが付いています。
18世紀前半のスパニッシュのゴールドとダイヤモンドのストマッカー、裏面を見ると、、、
ブローチに作り替えられている事がわかります。
ブローチに作り替えられた、18世紀 フランスのペンダントです。リボンを通す為のオリジナルのフープが残っています。
ブローチに作り替えられた、18世紀 スパニッシュゴールド と エメラルドペンダント。リボンのためのオリジナルフープが中央に残っています。ストマッカーからブローチへ作り替えられたジュエリーは、その他にかえられている部分がなければ、それほど価値に影響はありません。
II – イヤリング
17世紀と18世紀にはイヤリングは珍しいものでした。理由は、一般の人々がそれらを使用していなかったことです。使用していたのは貴族のみで、しかも宮廷での舞踏会などの非常に特別な機会だけでした。そのため、この時代のイヤリングは驚くほど重く、« girandoles » と « pendeloques »のようにとても豪華なデザインでした。さらに、イヤリングには、リボンでウィッグ に掛けるための特別なシステムがありました。フープに追加のリングをはんだ付けし、イヤリングの重みをウィッグで支えられるようにすることで、もしホックが突然開いて耳から落ちたとしてもイヤリングを紛失することがありませんでした 、これは高価なジュエリー用の当時のセーフティシステムです。
18世紀イヤリングのオリジナルシステムは、現在で使用することはほぼ不可能です。理由は、現代の耳穴には当時のホックが分厚過ぎるからです。また、それらのイヤリングはシルバー製であったため、私たちは着用する際にアレルギーを起こす可能性があります(ゴールドやプラチナにはアレルギーはありません)。もし、イヤリングをリボンでウィッグに取り付けるなら別ですが、このアンティークのシステムは、あまり安全とは言えません。
18世紀後半の « clusters »イヤリング。オリジナル システムを使用し、シルバーの上に人造宝石を置いている。イヤリング をウィッグにかけるための非常に分厚い ホックとリボン取り付け用のシステムです 。
そのため、当時のシステムのままのイヤリングは、後の時代により快適で安全なアレルギーの少ないものに取り替えられるようになりました。もし、他に何も取り替えられなければ、オリジナルのシステムではなくてもイヤリングの価値には影響しません。
もし 18世紀のイヤリングを購入したい場合には、このシステムを良く確認する必要があります。もしシステムが18世紀の物ではない場合、難しいと思いますが、そのシステムが後に付け加えられたものかどうか、本体とフックの接着面をよく見てください。もし、付け加えられていたらそのイヤリングは18世紀の可能性がありますが、付け加えられていないように見えたら、そのジュエリーは19世紀もしくはそれ以降のものであるという証拠になります。
オリジナル システムの17世紀後半のゴールドとダイヤモンド « pendeloques »イヤリング
オリジナル システムの18世紀中頃の « girandoles » イヤリング 。ダイヤモンドとルビーが付いている。
オリジナルシステムの18世紀の « girandoles »イヤリング。マザーオブパールが付いている。
オリジナルシステムを使用した、18世紀後半のポルトガル の« pendeloques »イヤリング二つ。クリソベリルが付いている。左側には、リボンをウィッグに取り付けための追加リングがある。
18世紀後半のポルトガルの« pendeloques » イヤリング。 クリソベリルが付いている。オリジナルのホックがスリムなものに変更されている。
III – まとめ
もし、あなたが、17世紀や18世紀のヨーロッパの優雅な貴族社会や、王妃マリーアントワネットやポンパドール夫人が生きていた頃の舞踏会を想像して、当時のジュエリーを所有する事を夢見るなら、是非気をつけてください。
あなたの純粋な夢を守るために、当時のジュエリーを見極めるポイントを説明しました。文章を読んだだけでは見分けるのは難しいと思いますが、アンティークマーケットには、沢山のフェイクや作り替えられた« half-fake »(半分が本物、半分がフェイク)が存在している事を知ってください。
19世紀のスタイルのジュエリーを18世紀と勘違いして購入しないよう気をつけてください、そして、18世紀のジュエリーのパーツを後の時代に、リングやブローチなどに大幅に変更したものや、ベゼルのみが本物でフープがモダンのリングなどは購入されない方が良いでしょう。
是非、17世紀、18世紀からそのまま残り続けた美しい本物のオリジナルのアンティークジュエリーを購入して頂きたいと思っています。フェイクジュエリーには、金属と宝石の価値のみしかありません。また、作り替えた« half-fake »ジュエリーの価値は殆ど無い場合があります。
私が身につけているのは本物の18世紀のシルクのドレスです(^-^)
とにかく手刺繍が繊細でした!
着用するのが大変だったので、着替えに侍女が必要なのが良〜くわかりました!
アンティークレッスン、お品物のご質問等、お気軽にご連絡下さいね(^-^)
仙波亜希子 Akiko semba
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後期バロック、ロココ、この様式はパステル調の色や非対称なデザイン、曲線や黄金を多用する点が特徴的です。政治的な面により重点が置かれたバロックとは異なり、ロココで用いられる芸術的テーマはもっとおどけて、軽やかで、時には機知に富むこともありました。
宝石を着用することは上流階級はもちろん、中流階級や富裕層にとっても、アイデンティティの表現の一つでした。宮廷で、ボタンやバックル、ストマッカー、髪飾り、目貫、時計、コサージュ、ピアス、ネックレス等、黄金にはめ込まれた輝く宝石をつけている様子こそが、「宮廷ファッション」の原型であり、拡大し続ける中流階級は地位や財産を誇るため、盲目的にこれらを追い求めたのでした。
フランスの女性に宝石の大きなセットが好まれたのは、前世紀からの感覚でした。深い“décolleté” (ローネックもしくは肩紐のない衣服) の流行により、ネックレスは魅力的な胸元や首もとに注意を引きつける為、美への感覚を高める為に、装飾品の中でも重要な装身具だったのです。
ギャラリーにて販売
これに加えて、ネックレスは中央を幾つものフローラルモチーフで飾られることがよくあり、中央に付けられた蝶結びのリボン型のペンダントや十字、真珠の形をした宝石でさらに鮮やかにされていました。
ペンデロークとジランドールのデザイン(シャンデリア状のデザインでナシ型のダイアモンド等が付けられたもの) もまた当時流行の雰囲気にあったジュエリーでした。
伝統的な真珠の装身具類は、新たな宝石をセットすることでよりボリュームを増しました。エメラルドやサファイヤ、ルビーなど色のついた宝石もより頻繁に装身具類に用いられるようになり、ブラジルで産出するレモンイエローのクリソベリルやオレンジピンクのトパーズもまた晩に着用されるネックレスで流行しました。
また、良質な無色の鉛ガラスやホワイトトパーズ、水晶が模造ダイアモンドとして使われていました。箔打ちされ着色された鉛ガラスの付いた銀製の、美しく技巧を凝らして作られた装飾具のセットは貴族の間でさえも社会的に受け入れられるようになりました。
当時のフランスの宮廷ファッションの中で実に面白いのは、非常に高く整えられた女性の髪型です。デザインのバリエーションも多くあり、大きな船や、小鳥がさえずる森、花が咲き噴水のある庭、馬車や、当時の最新の話題など、物語がそのまま髪型になったようでした。ルイ16世の妃、当時のファッションリーダーのマリー・アントワネットは髪を高く結いすぎて、髪がシャンデリアにぶつかりシャンデリアを壊したという面白い話も残っています、彼女により、ベルベットや羽、リボンやポンポン用の模造宝石の大きな髪飾りが一般化しました。
ほとんど不気味とも思えるこのような贅沢は、不穏なフランス革命がすぐに訪れる影を落としています。ただ、個人的には、この時代の髪結師の仕事は、想像力を刺激してとても面白かっただろうと思います。
☆この素晴らしい18世紀の美術館級のピアスはサイトにて販売済みです☆
当時、このような高いかつらの為とのバランスをとるため、イアリングはたいてい長さ2インチ (5cm) で、ほとんど肩に届くほど大きな物でした。デザインは主に、シンプルな宝石がひとつついたデザインか、洗練されたシャンデリア型で、大きな宝石が中央にあり、小さな宝石で囲まれていました。
蝶結びは非常に人気のあるモチーフでした。蝶結びはピアスの宝石や、胸に注意を惹くため首につけるロケットの細密画を念頭に置いてデザインされました。動くと震える羽や花と一緒に二重蝶結びを髪飾りに使うことも好まれました。
ギャラリーにて販売
ストマッカーをブローチにした17世紀の作品 ギャラリーにて紹介しています。
ストマッカーとは、位置でいうと、この宝石部分に縫い留めて使うジュエリーです。
シャトレーンやストマッカーも人気となります、シャトレーンは宝石のついた金属製の飾りで、フック状の留め金と、鍵や装身具、鋏や個人的な小物類をぶら下げる鎖がついており、女性がウエストにつけるものであったが、実用目的というよりは館の女主人である事を示す為、美しさの為に着用されていました。これは多くの場合ウエディングプレゼントとして花婿から花嫁に贈られる装身具で、シャトレーンは家庭の経済事情に応じて、銀や真鍮、鋼鉄、革や織物で出来ていました。男性も装飾目的でシャトレーンを時計と共に着けていました。
販売済みのモーニングリング
ロココ様式がフランスで流行していた間、都市部に住むイギリス人は田舎暮らしの素朴さを求めていました。古典主義のエッセンスはドイツやイタリアで学んだ教養ある紳士淑女によりイギリスに持ち込まれます。物質的な価値よりも、感情的な価値や美徳を表現するセンチメンタルジュエリーが好まれました、愛の言葉が刻まれていたり、髪の毛が忍ばせたジュエリーが着用されたのです。
仙波亜希子
スカラベ付き回転式ベゼル指輪
ベゼルが回転し裏表の装飾が楽しめる独創性を持ち、かつ大変シンプルな形の指輪は宝飾品の全歴史を通じてもっとも長く続いたもので、
なんと4000年もの間流行っていました!その歴史を皆様に知っていただきたいと思います(^-^)
エジプト、アビドス、第12王朝の指輪
第12王朝の金製指輪(メトロポリタン美術館)
エジプト中王国第12王朝期(紀元前20~18世紀)、ファラオたちは金鉱山があるヌビアを征服し、スイベルリングを用いた最初の金の指輪が作られたのです。とりわけアビドスのこの時代の貴族の墓でスイベルリングの指輪が発見されました。
エジプトのスイベルリングにとって一番輝かしい時代は、新王国時代(紀元前1500~1000年頃)でした。その前の時代と同様、スイベルリングの指輪には必ずしもスカラベが付いていたわけではありません
スカラベ付きスイベルリングの流行はローマ帝国がエジプトを征服する(紀元前30年)まで、2000年間続きます。
プトレマイオス朝(紀元前300~30年)のエジプトのスイベルリング2種
新王国時代に、有力なファラオであったトトメス1世とトトメス3世(紀元前15世紀の前半)はカナンの地やレバント(近東)を征服しました。エジプトの様式がこの地域に入り込み、レバントの人々はスイベルリングを使い始め、スカラベはこの時代から流行し出しました。
紀元前12世紀の近東の文明。レバントでのエジプトの支配分布図
紀元前1200年以降、すなわちミケーネ文明末期以降、フェニキア人の都市の文明化が起こりました。フェニキア文明や芸術は当初、エジプト人とミケーネ人に多くの影響を与えます(紀元前1200年)。
その後、アッシリア人(紀元前1100年および870~620年)がレバントを征服し、スイベルリングやスカラベの形式は何世紀もの間姿を消しました。
バビロニアの王、ネブカドネザル2世(紀元前605~562年)の軍隊がフェニキア人の都市を攻撃した時、フェニキア人は抵抗を試み、エジプトと同盟を結びます。この時代に、エジプト様式の影響がフェニキア芸術に再び入りました。数多くのスカラベ付きスイベルリングがこの時代のものとされています。フェニキア人たちは金より銀を用い、意味を持たない偽の象形文字を使用し、グラニュレーションで指輪を飾っています。この方法はバビロニア人とアケメネス朝(ペルシャ王キュロス2世、紀元前539年にバビロンによって征服)の支配の間続きます。この形式は、アレキサンダー大王のレベント征服(紀元前333~332年)まで、紀元前5世紀も4世紀も継続しました。
フェニキアのコーネリアンスカラベ付き金製スイベルリング、紀元前6世紀
カルタゴは、紀元前814年にティルスの王が建設したフェニキアの都市です。この都市は、紀元前4世紀に地中海西部で強大な勢力となりました。カルタゴのフェニキア人もスカラベ付きスイベルリングを用いました。彼らの影響があるため、このような指輪をスペイン南部、サルデーニャ島、コルシカ島、シチリア島で見つけることができます。
スカラボイドが付いたフェニキア様式のスイベルリング、紀元前4世紀(スペインで発見)
ギリシャ文明は紀元前9世紀にフェニキア人と密接な関係を持ち始めました。ギリシャ人はギリシャ文字を創り出すために、フェニキア文字を使っています。キプロスは紀元前6世紀半ばに、ギリシャ人とフェニキア人が半々だった大きな島です。
紀元前650年に、ギリシャ人はエジプトのナイル川デルタにナウクラティスという都市を建設しました。サイス朝(エジプト第26王朝)(紀元前665~525年)時代に、ギリシャ人とエジプト人との関係は密になります。
この時代に、スカラベ付きスイベルリングがギリシャで流行し出します(レバントとエジプト双方の影響)。ギリシャ人は銀と同様に金も用い、スカラベを彫るためにカルセドニーとコーネリアンを使いました。紀元前6世紀以降、彼らは自然なディテールを持たないよりシンプルなスカラボイドの形も使っています。また、紀元前4世紀以降、平らな楕円形の石を使用するようになります。
フィリグリーで飾られたギリシャの銀製スイベルリング、紀元前500年頃 (ケルキラ島)
コーネリアンスカラベ付きギリシャの金製スイベルリング、紀元前4世紀
地中海全域にわたるギリシャ人の貿易の影響と植民地によって、ギリシャの都市はスカラベ付きスイベルリングの形式をイタリア南部へと広めていきました(特にターラントの都市では顕著)。
地中海地方におけるギリシャの植民地 (赤い点) とフェニキアの植民地 (黄色い点) 、紀元前 550 年頃
サラミスの海戦 (紀元前480 年)で、ギリシャ人はペルシャ帝国に勝ちます。ギリシャの都市はとても重要となり、それらの影響も大変重大になりました。ヘレニズム時代には、多くのスカラボイドと平らな楕円形の石が付いたスイベルリングがあります。
紀元前3世紀の地中海文明 :ギリシャ (黄色の地域)、フェニキア (緑の地域), ローマ(青の地域)
紀元前6世紀に、イタリア北部と中部では、エトルリア文明が重要になりました。この文明は紀元前300年頃まで重要性を保ちます。エトルリア人は、ギリシャとフェニキア文明の影響を受けています。彼らは、紀元前6世紀末期までには、スカラベ付きスイベルリングを使い始めていました。その影響はギリシャ人から来たのです。しかし、紀元前4世紀には、エトルリア人はカルタゴからも影響され、指輪を飾るのにグラニュレーションを用い始めました。
ギリシャ人 (赤い地域) とフェニキア人(青い地域)に近接している紀元前4世紀のエトルリア (緑の地域)
フェニキア様式のエトルリアの銀製スイベルリング、紀元前4世紀(大英博物館、 1859)
彼らはスカラベ付きスイベルリングのこの形式を紀元前3世紀まで続けます。
スカラベ付きギリシャ様式のエトルリアの金製スイベルリング、紀元前4~3世紀 (メトロポリタン美術館)
19世紀の回転式指輪に付けられたエトルリアスカラベ(紀元前4世紀)(メトロポリタン美術館)
時折、16世紀から18世紀の近代に、古代文明の愛好家がスカラベ付きスイベルリングをレバント、ギリシャ、エジプトといった所で見つけることがありました。ナポレオン・ボナパルト(1798-99)のエジプト征服以降、スイベルリングがヨーロッパで流行り始めましたが、そこではスカラベは使われず、インタリオやカメオ、細密画の使用が好まれました。
インタリオ付き金製スイベルリング、フランス、1800年頃
19世紀初頭の様式の金製スイベルリング
タルクイーニア近郊にあるエトルリア人のモンテロッツィ墳墓は18世紀に発見されましたが、最初の考古学上の発掘は19世紀に行われました。
カンパーナコレクションのエトルリアの金製指輪、紀元前3世紀 (ルーブル博物館)
著名な収集家であるジャン・ピエトロ・カンパーナ侯爵(1808~1880)は、1844年頃にカエレでの発掘を始めました。彼のエトルリア芸術作品のコレクションは有名になりました。「エトルリア様式」の流行は1850年以降に始まったのです。有名なローマの宝石商でカンパーナ侯爵の友人であるフォルトゥナト・ピオ・カステラーニ (1794 ~1865)は、エトルリア宝石のこの形式を広めました。エトルリアスカラベ付きスイベルリングを1850年~1860年に作り出したのです。カンパーナのエトルリア宝石コレクションは、1861年にナポレオン3世に買われました。このコレクションはルーブル博物館で展示されました。ウジェーヌ・フォントネーや後のルイ・ヴィーゼといったフランスの宝石商たちは、19世紀末までフランスでエトルリア様式を継続しています。
カステラーニによる金製スイベルリング、 1860頃
「エトルリア様式」で作られた金製スイベルリング、フランス、 1865頃
1922年のツタンカーメン王墓の発見は、スカラベ付きスイベルリングの形式を力強く復活させました。しかし、この時代の愛好家は、エトルリアスカラベよりヒエログラフ付きスカラベの方を好みました。
1922に発見されたツタンカーメンのトルコ石スカラベ付き金製スイベルリング 。
現在も引き続き、スカラベを付けたスイベルリングを製作している宝石職人もいます(特にエジプトもの)。
回転式ベゼルのついた現代的な指輪
仙波亜希子 Akiko semba
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インタリオ 時を超えた小さな石に眠る広大な世界
このレッスンで紹介するインタリオは全てギャラリーにて販売した作品です。
(23年間のキャリアを持つ古代美術のエキスパートのパートナーが発見し、販売した数百点におよぶインタリオの一部も紹介します…)
インタリオにはその小ささからは想像も出来ない広大な世界が広がっています。。。
ぜひ想像して下さい、、、
遙か彼方の紀元前に、インドやアラビアの山中で、つらく困難な作業を経て砂利石の中から宝石を見つけ出した人達の事を、、、ジャスパー、カルセドニー、ロッククリスタル、カーネリアン、ニコロ、瑪瑙、ラピスラズリ、シトリン、アメジストなどの宝石を、、、
インド・アラビアから、山、川、砂漠、海を越えて地中海へと至る長く危険な旅路をした宝石達を、シリアやトルコ、アレクサンドリアの作業場で受け取る宝石研磨職人を、、、
切りだされ磨き上げられた宝石達に、信心深く裕福な人々が、自分の名前であったり、かわいい動物や偉大な神の図柄、マジックシンボル、有名人の肖像、神話などの気に入った図柄の彫刻を施す事を彫刻職人に依頼することを、、、
《小さな石に沈め彫りの彫刻を施した作品をインタリオと呼びます》
ギリシャやローマの彫刻職人が古代の道具を用いながら、膨大な時間と労力をかけて彫刻を施し、宝石を《インタリオ》と呼ばれる極小の彫刻作品へ生まれ変わらせる事を、、、
インタリオの注文主達が彫刻が施されたインタリオを持ち、彫金職人の元を訪れ、インタリオをセットする指輪の形や金の重さ、装飾などについて相談した事を、、、
ギリシャやローマに生活している、位の高い人々、貴婦人達が、ジュエリーになったインタリオと共に旅をすることを、、、
このような人々が天に召された後、インタリオは墓の中や人知れぬ場所で、あるいは池や川の底で何世紀もの間、眠り続けてきた事を、、、
長い間眠ってきたインタリオが近代人の手によって、驚きと喜びとともに発見され、この 素晴らしい芸術品が世紀を越えてあなたの元へ届いたものである事を、、、
是非、強く想像してみて下さい。
ミノスまたはミケーネ文明のバンデッドアゲート。三面に彫刻が施されています(紀元前14~ 12世紀)
インタリオ彫刻の起源は、まさに文明の開始である紀元前4千年にまで遡ります。文字の使用よりも以前にインタリオの彫刻は行われていたのです。最初期のインタリオ彫刻は貝殻や石(ステアタイト、方解石、大理石、ヘマタイト、ラピスラズリ、めのう、カルセドニー、コーネリアン)で作られ、印章として使われました。
インタリオには、幾何学模様やマジックシンボル、動物、文字(楔形文字や象形文字)、神や王、有名な人物の肖像、戦争や日常生活、神話をモチーフとした彫刻が施されました。
ステアタイトにグリフィンが彫られた古代ギリシャのインタリオ(紀元前7世紀?)
シュメール、バビロニア、エジプト、ミノス、ギリシャ、フェニキア、ペルシャ、エトルリア、ローマなど、あらゆる古代文明がインタリオのモチーフとなりました。インタリオの形状には、時代や流行によってデザインの変化が見られます。
シュメール人は円筒印章を好み、ミノス人は円盤型、両凸レンズ型、そして丸みを帯びた長方形で両端がすぼまった形を好みました。またバビロニア人やペルシャ人は円錐状の形を好みました。
エジプト人はスカラベを好み、フェニキア人やギリシャ人もスカラベを用いました。スカラベが用いられるようになったのは宝石用で、スカラベの指輪自体は紀元前2世紀初頭に作られています。
スカラベの後、ギリシャ人はスカラボイドを用いるようになります(形状はスカラベですが細部に人工的な技術を使用)。そして、スカラボイドはますます扁平・楕円状の形に変化していき、ヘレニズム期(紀元前4世紀)には通常のインタリオの形状が登場するのです。
めのうのスカラボイドにケンタウロスが彫られたギリシャのインタリオ。紀元前500年頃。
コーネリアンに兵士が彫られたイタリアのインタリオ。後期ア・グロボロ様式、紀元前3世紀
イエローカルセドニーに兎が彫られたイタリアのインタリオ。後期ア・グロボロ様式、紀元前2世紀
ローマ時代のインタリオの魅力を理解するために6つのポイントをご説明します。
1真贋について
当然ながら最も重要なポイントになります。アートマーケットでは、ギリシャ時代やローマ時代のインタリオとして非常に多くの模造品が出回っています。中には、近代(とりわけ18世紀・19世紀)に造られた模造品もあります。専門家の場合は、石質やモチーフ、制作スタイルを調べ、彫刻に使われた道具の特徴や表面の劣化やパティナを仔細に観察することで、真贋は極めて容易に判断できます。
コーネリアンに「シレノスの勝利」が彫られたイタリアのインタリオ。18世紀後期。石質と製作スタイルから、このインタリオが18世紀に作られた事がわかります、おそらく、当時の観光客向けに本物のヘレニズム期のインタリオとして売られたのだと思います。
アメジストにアレクサンドロス大王が彫られたイタリアのインタリオ、18世紀。このインタリオはヘレニズム期の作風に似ています。
2時代
より貴重なインタリオはヘレニズム期(紀元前4世紀~1世紀)およびローマ時代アウグストゥス期(紀元前1世紀後期)のものです。紀元前1世紀から紀元1世紀にかけて、ローマのインタリオは最盛期を迎えました。
紀元150年頃から、製作スタイルに変化が現れ、彫刻の質もやや下がります、また、彫刻のモチーフも変化します。特に3世紀の「マジック インタリオ」には興味深い作品がいくつかあり、初期キリスト教をテーマにした作品(3世紀~4世紀)は貴重です。
共和政ローマのバッカンテが彫られたバンデッドアゲートのインタリオ。紀元前2世紀~紀元前1世紀。
コーネリアンにヴィクトリーが彫られた後期ヘレニズム期のインタリオ。紀元前150年~100年
3保存状態
価値あるインタリオは目立った破損や欠損がなく、石灰化していません。保存状態に目立った破損や欠点などがある場合には価値が下がり、殆ど販売不可となります。ですが、コレクターの需要の見込めるような極めて希少な作品の場合は別です。
アナトリアのTycheの寺院が彫られたローマのインタリオ。
紀元3世紀。このインタリオには目立つ傷が見られましたが大変貴重な作品であった為、有名なコレクターの方にお買い上げ頂きました。
コーネリアンにPothosの姿が« vivas »の文字と共に彫られたローマのインタリオ。コーネリアンなのに何故赤くないかというと、火(あるいは酸化)によって石質が変化し、石に石灰化が起こっている為です。しかし、この石が興味深いのは、これが葬式用に製作されたものであり、火葬時に積み薪とともに焼かれたということがわかるからです。インタリオの価値としてはそれほど高くはありませんが、面白みのあるインタリオ作品として、お求めやすい価格でコレクターの方にお買い上げ頂きました。
4石の美しさ
半透明の美しいコーネリアンは、当然ながらグレーカルセドニーやオレンジ色のコーネリアンよりも貴重です。価値の低いものから並べると、ガラス、方解石、ジャスパー(赤、黄、茶)、グレーカルセドニー、オレンジ色のコーネリアン、ロッククリスタル、レッドコーネリアン、ガーネット、イエローカルセドニー、ブルーカルセドニー、めのう、アイアゲート、ニコロ、ラピス(ローマ時代のものには希少)、グリーンアゲート(緑石英)、シトリン(ローマ時代ローマ時代のものには非常に希少)、アメジスト
そして、石のサイズも重要です。小さすぎず、大きすぎずが大切になります。なぜなら小さすぎても価値が上がりにくく、大きな石の場合は彫刻作業が容易になるからです。
ニコロ アゲートに幸運のシンボル(豊饒の角、鳥、方向舵、イルカ、蝶)が彫られた インタリオ。紀元1世紀初頭。
Venus Victrixが彫られたローマのインタリオ。紀元前1世紀~紀元1世紀
アメジストにプトレマイオスが彫られたヘレニズム後期のインタリオ。紀元前1世紀初頭
5 モチーフ
インタリオには文字(名前や« vivas »など)、マジックシンボル、動物(牛、犬、馬、ライオン、ワシ)、神や人間の頭部などシンプルなモチーフ が用いられたものもあります。
女神フォルトゥナやアテナ、マーキュリー、マルス、ジュピター、« fede » (« junctio dextrarum »)などは、非常に一般的です。
立ち姿全体を表したものは、頭部のみのものより良いとされており、3つの図柄が入ったものは1つのものよりも価値があると考えられています。また、生活の情景を描いたものは単なる立ち姿の図柄のものより好ましいとされています。
他のモチーフよりも稀少であるのは、、、皇帝、ミューズ、神々(例えばバッカスがマルスよりも稀少で、ディアナはアテナよりも稀少、ヴェヌスはフォルトゥナよりも稀少)、コメディアンマスク、gryllos(グリロス)、サーカス マキシマス、田園風景の生活、ギリシャの英雄、トロイ戦争、サテュロスとニンフ、エロティックモチーフなどです。
ローマ軍船に乗ったワシが彫られたジャスパーのローマのインタリオ。紀元2世紀。素晴らしいモチーフです。
Silenus(シレノス)の仮面を被ったオウムを背負い、豊饒の角に配置されたgryllos(グリロス)のインタリオ。
非常に質の高いレッドコーネリアンが使用されています。紀元1世紀。大変素晴らしいモチーフです。
6 彫刻のクオリティ
個人的には、最も重要なポイントです。魅力的な構図、バランス、スッキリとして見やすい図柄、作りこまれたディテールなど…頭部のみのシンプルな肖像であっても、上質な彫刻が施されることで興味深い作品になります。
古代ローマ1世紀のマーキュリー ギャラリーにて販売中
一般的なマーキュリーの図柄も、良い石に特徴的な彫刻技法で制作することで、非常に魅力的なインタリオになるのです。
大きなイエローカルセドニーにセレスのアートリビュートと共に彫られたニケのインタリオ、ヘレニズム後期。(15 x 18.5 mms)
良い彫刻が施されたインタリオには、上質な石が使われている事が多いです。質の悪い石に良い彫刻が刻まれた作品を見た場合、あるいは、上質な石に質の悪い彫刻が刻まれた作品を見た場合には特に注意してください !
結論
インタリオの魅力を出来るだけ詳しくご説明いたしました、上質な石で、魅力的なモチーフと高い彫刻技術で作られた本物のインタリオを完全な保存状態で見つけることがいかに難しいことであるかを分かって頂けたらと思います。
インタリオは数千年前から存在する素晴らしい宝物と言えます。この小さなインタリオがアートマーケットの動向とあいまって非常に価値を持った素晴らしいマスターピースとなる場合があります。何故なら素晴らしいマスターピースのインタリオの価格は今後上昇傾向にあるからです。
希望の女神のインタリオ、珍しく素晴らしい題材は、最高品質の美しいプラスマに彫り込まれています。
古代ローマ 紀元前50年〜紀元50年
サイトにてご紹介予定です。
仙波亜希子 Akiko semba
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仏電話番号 0033(0)9 53 53 51 47
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ゴルゴネイオン
古代ギリシャにおいて、最も人気のあったシンボルのひとつが、蛇の髪を持つ不気味な女性の頭の象徴、ゴルゴネイオンです(メデューサ3姉妹をモチーフにした装飾、メデューサの仮面などは「ゴルゴネイオン」と呼ばれていました)。これまでに発見されたゴルゴネイオンのメダリオンやオーナメントの起源は、紀元前8世紀にまでさかのぼります。
ギリシャのゴルゴネイオン、紀元前6世紀
ギリシャのゴルゴネイオン、紀元前5世紀
ギリシャ神話によると、メデューサの頭を見た者は石に変えられ、ペルセウスとメデューサの物語にゴルゴネイオンの登場が描かれています。
メデューサを殺すペルセウス、紀元前6世紀
ゴルゴネイオンは、寺院や建物、あるいは墓を悪から守るものとして、非常に早い時期(紀元前8世紀ほど前)から、ギリシャで流行していました。そしてヘレニズム期にはインタリオやカメオに彫られ、持ち主を危害から守るお守りとして使われるようになったのです。
このモチーフの起源はギリシャですが、ヘレニズム文化と共に広まっていきました。ゴルゴネイオン像は、イタリア・エトルリア都市国家群の地中海沿岸地域で発見された寺院、衣服、彫像、食器、武器、鎧、硬貨にも描かれています。
ギリシャの銀貨に彫られたゴルゴネイオン、ネアポリス(紀元前400~350年)
エトルリアのゴルゴネイオン、紀元前4世紀
ヘレニズム文化がローマに組み込まれていくにつれ、ゴルゴネイオン像の人気はさらに高まりました。もっとも、ゴルゴネイオンの顔立ちは次第に美しいものへと変化しています。恐ろしく残忍なメデューサの仮面は、美しく哀れなメデューサ・ロンダニーニに変えられていったのです。。。
ヘレニズム時代後期またはローマ時代初期 «メデューサ・ロンダニーニ »
http://en.wikipedia.org/wiki/Medusa_Rondanini
ヘレニズム寺院アポロ像、ディディム、トルコ
裕福なローマ家庭においてゴルゴネイオンは、家を悪から守るものとして通常玄関横に描かれていました。蛇で取り巻かれた顔が、しばしば壁画に描かれているほか、モザイクとしても床に埋め込まれています。
ローマ時代のゴルゴネイオン・モザイク、1世紀
ローマ時代のゴルゴネイオン・モザイク、2世紀
ローマ時代のより品質の高い装飾品は、(1~2世紀)始めのものです。通常の大きさは縦11~24mmでした。より大きなものは、31mmになります。
現在ギャラリーで扱っている 古代ローマ2世紀 ゴルゴネイオンのカメオ
このカメオの大きさは24.4mmあり、最も大きいサイズのひとつです!
3世紀から4世紀の間にはより簡略化され、通常サイズはより小さくなっています(10~18mm)
ローマ時代のゴルゴネイオン・カメオ、1世紀(ギャラリーにて販売済)
ローマ時代のゴルゴネイオン・カメオ、1~2世紀
ローマ時代のゴルゴネイオン・カメオ、2世紀
ローマ時代のゴルゴネイオン・カメオ、3世紀(ギャラリーにて販売済)
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